本部合宿

2009年 3月9日(月)〜3月13日(金)の連盟本部合宿の日記です。


主務 蘭 直樹

 本部合宿…それは私にとって一年間の中で最も気合いの入らない行事でした。
う●ん臭い本部で練習するのは良しとしても…
何故わざわざ4日間も費やす必要があるのでしょうか。
いや、そもそも練習が練習ですらなく、
ただひたすら他大学の学生と手と手を取り合って踊り合ってるだけの、
ただのダンスではないでしょうか。
なんという馴れ合い!しかも馴れ合いすらも
中途半端のまま終わってしまうこの時間…
果たしてこの合宿に価値はあるのでしょうか。
多くの人がそう思っていることでしょう。
そこで私はこの本部合宿に果たして参加する価値があるかどうか
検証したいと思います。
そもそも、幹部とは…
すみません、間違えました。
そもそも本部合宿は基本強制参加の為、
休むという選択肢はとれません。
その為私たちは極力合宿を無難に過ごし消化する傾向が
強く見られます。
無難に消化する…この時点で私たちはこの合宿に対して
無意識のうちに抵抗を持ち、悪いイメージを持つようになります。
これが本部合宿に対してネガティブな姿勢を取ってしまう
最大の原因ではないかと私は考えます。
(もちろん先輩がウィルスの如く撒き散らす
黒い噂も原因の一つかと思いますが。)
全ての行事に言えることですが、
やる前から嫌だ・おもしろくないという気持ちでいると
どんな楽しい行事でも今一つに感じてしまいます。
反対にどんなに苦しい行事でもその瞬間を楽しむぞ、
という気持ちで挑めばその行事も幾分楽に感じることができます。
(これは春合宿にも言えることなので
現役生はみんなポジティブな気持ちで挑みましょう。)
論点が少しずれてしまいましたが、つまりそういうことです。
楽しいと思えば楽しいし、価値があると思えば価値がある、
人間思い込むことによって無敵になれるということです。
よって本部合宿は価値のある合宿だと私は思い(込み)ます。
以上です。

もちろん、合宿内容は三段の部で楽しませてもらいました。
やはりこの合宿、及び少林寺拳法を楽しみたいなら 三段の部の先生に教えてもらうのが1番いいということを悟りました。
これは思い込みではなく素直な感想ですが、
もしかしたら先生が凄いと思い込むことによって
楽しかったと思い込んでいるのかもしれません。
しかし、それを指し引いても「すごい」と
思い混ませる先生というのは存在するわけで、
私もいつかそういう存在になれるよう努力していきたいと思います。


副将 一瓢 達也

これまで僕が見てきた、「達人」の技の掛け方は、
得体の知れないものばかりでした。
なにを言ってるんだと思うかもしれませんが、
小手巻返などでも、
こちらが相手の手首を離しさえすれば倒されることはないのですが、
それをわかっていても、何故か守者の手にしがみつきたくなる、
結果倒れるといった感じです。

少林寺拳法の面白さや強さというのは、
そうした得体の知れない技にこそあると考えていましたが、
今回はまた別の強さを発見できました。
本部合宿で見た先生の技の掛け方は、
傍から見れば、ぶち倒すとか叩き伏せるとかいう表現が
似つかわしいものでした。
一見乱暴にも見えるのですが、実際に技を掛けてもらうと
乱暴に無造作にやってできるものではなく、
的確な動きによって成されているものだとわかりました。
初めて、うまいなあ、不思議だなあ、ではなく
つえーという感想を持ちました。

どちらが良い悪いではなく、好きな方を選ぶものだと思います。
見たものが強烈すぎて、
引退するまでに、この先もしものことがあれば
反射的に股間を蹴り上げられるぐらいにはなっておきたいなあ、
と妙に謙虚な気持ちになりました。


副務 鈴木 恭平

三回目の本部合宿です。よかったこと、悪かったこと
いろんなことがあるのが、本部合宿だと思います。
楽しめる、楽しめないのも自分次第だと思います。
自分は今回の本部日記というより、
今までのトータルで述べたいと思います。
反省点は交流ができなかったことです。
一回から三回まで、一つの目標でしたが、
会話をしても少しで、仲良くはなれませんでした。
反省はしております。
この合宿というより、自分にとって
コミュニケーションは人生の課題です。
よかったことは、苦手な技ができたこと。
それには感動を覚えました。
そして少林寺は実戦で使えるということがわかりました。
本気で挑んでも、軽くいなされました。
今まで少林寺は馴れ合いだと思っていましたが、
少し考えが変わりました。
もう二度と本部に行くことはないかもしれませんが、
良い経験をさせてもらいました。


会計 玉井 沙織

今回の本部合宿は、三回目であり、最後の本部合宿となりました。
今回の合宿は、私にとって
どのような合宿になるのかとても楽しみでした。
私の中での目標は、合宿を楽しむことでした。
一回目の本部合宿は、何もかもが新鮮で、
出会う人や先生方に感動しっぱなしでした。
二回目の本部合宿は、
より技に関して知りたいという気持ちが強く、
一回目の本部合宿よりも、
先生方に積極的に技をお聞きした合宿でした。
この二回の合宿と比べると、
今回の本部合宿は、少林寺拳法を自然に楽しむことが出来、
違った視点から少林寺拳法を見つめなおすことが出来た
良い合宿となりました。
 今回の合宿が、一回目と二回目の合宿と違ったことは、
先生方に教えて頂いた技を素直に受け取るだけでなく、
自分で考えてみることを行いました。
以前は、技を教えて頂いた際も、
形ばかりにとらわれて大事なことを忘れていましたが、
技は形をしっかりと守っても、
かからないこともあるのだと深く感じました。
私は肩や手首が柔らかいため、
逆小手や送小手がかかりにくいのですが、
形にとらわれなければ、
自然とかかりやすい方法が見付かるのだと思いました。
技を一つ一つ別のものだと認識していたときと比べ、
考え方が多少柔軟になり、大きな視野で技を見つめ
、楽しく技を行うことが出来ました。
今回、目標であった、「合宿を楽しむこと」は
自分の中では達成することが出来たと思います。
大学に戻っても、普段の練習の中でも楽しみを見付け、
形にとらわれることなく、
自然に技を行えるよう練習に取り組んでいきたいと思いました。


主将 辻村 吉隆

自分にとって学生生活最後の本部合宿が始まった。
思えば、一回生の頃、本部合宿で初めて
少林寺拳法連盟本部の門をくぐったことが懐かしく思える。
今回の本部合宿では、
技術面や精神面において自分が収穫を得るということよりも、
後輩が何か収穫を得ることができることを目的とした。
そして自分自身が聖人君子でもなく、
欲望や私欲にまみれた人間であるにもかかわらず、
1年間よく後輩たちは文句を感じながらも
一生懸命ついてきてくれたことに改めて感謝したいと思った。
とにかく色々と感じる4拍5日の本部合宿だった。
合宿までの練習は後輩にはやたら厳しくあたった。
僕ら幹部が厳しくなれるのももうすぐ終わりだし、
なによりも史上初となる1回生の黒帯取得に向けてを
かなり意識していた!!!
さて今回の本部合宿は「宿、ロッヂ寿に決まったで(笑)」
という主務の言葉から本部合宿はスタートしたのだと思う。
道程の確認や下見、提出書類の確認など仕事は沢山である。
そつなくこなせたと思う半面、仕事の大小に関わらず、
そこに自分の心や意識が宿らないと仕事に
結果というものが生まれないと痛感した。
1回生の食事の準備や荷物持ちにしろ、2回生の指導にしろ、
幹部の運営にしろ、その仕事を担う者が
心から周りの多くの部員が部活という社会のなかで
気持よく(語弊があるが)過ごせるか深く意識しないと
やはり結果は生まれない。
どんな小さなことであれ、言われているから行うのではなく、
考えているから行う、思うから行動するという「心」を
この部に所属する人間(自分を含め)は養わなければならないと思った。
「心」にかたちは無く、自由自在に変わる。
だからこそ、少しでも自分がよい方向へ進んでいく考えを
もつべきであるのだろう。
少林寺拳法の意義はそれなのだろうとおもった。
3回生になってこのことの意味を改めて感じたし、
これはもしかすると3回生で幹部という立場にならないと
分からないことなのかも知れない。
「人」は安易な方向へ向かって流れていくのは
古今東西において普遍であり、
それが人間なのかもしれない。
何かの目的の進むにあたり、このことはよく感じ、
技術修練、部活の仕事などの場面ではとりわけそうである。
しかし、先に述べた「心」を養うことで自分が変わり、
結果が変わり、そして一歩一歩と自分が生きる世界
(少なくとも部活という世界は)は変わっていくのだと思う。
所謂「理想境建設」である。後輩には特にこれを感じてほしい。
学生生活がしんどい、部活がしんどい、
生きているのがしんどいと感じる人は少なからず存在する。
また時々そう感じてしまう人も然りである。
それは沢山の人(自分を含め)が自らのもつ心が
「しんどい」と感じたから「しんどい」のであることや、
知らず知らずのうちに周囲の環境のせいにして
自分の「心」を見つめ直すという、
肝心な作業を怠っているということに
気がついていないからなのだろう。
目に見えない「ことば」や「心」のもつ力は計り知れない。
部活の運営においてその力を残り僅かの時間でいかしていこうと思う。
自分が入部した時と比べて、部活は変わった。それでアリなのだと思う。
とにかく後輩には必死になって学生生活を過ごしてほしいと思うし、
必死になることで周囲に対して何かを感じる時間や量は増え、
感じることで考えることが芽生えると思う。
必死になるためには、行動あるのみ。悩んだり、不安になったり、
色々苦しんだら頭で考えるより、足使って、
たくさん情報を集めこと、世界をみること、
これが肝心なのだと思う。
あとは「常識」や「伝統」についてよく考えてほしいこと。
当り前と感じることや、昔がこうだからと理由にすること
人の考えるという環境や時間を損なう可能性があると思う。
とにかく要するに、部員一人一人が他の人よりも倍行動して、
感じて、考えて、それを周囲の環境(部活など)に
還元しようということなのである。
話に終わりが見えません。思い出話を最後に締めにはいろうと思います。
青春18切符での移動という
復古的な手段での移動は凄まじいものである。
特に後半はわけの分からないしりとりで盛り上がった。
移動のヒマな時間に毎回恒例ではるが、
とてもくだらないことを同期の人間と楽しめたことは
これでもう最後なのかもしれない。
さて、合宿前日は後輩たちの昇段試験で、
自分は1回生の初段試験をも見守っていた。
後輩たちはとてつもない威圧感を感じたと思うが、
彼らが精一杯、昇段試験を受けている姿を見られるのも
これが最後である。
試験官の某先生が
「先輩たちに怒られながらも、しっかりと練習してきたね」
とおっしゃられたときの1回生の顔は少し今でも忘れられない。
また2日目には鎮魂行の主座をさせていただく
栄えある場面を与えていただいた。
本部合宿が最後の出会いとなる他地区の拳士もいた。
そして最後の夜のミーティングでは1回生のある者が
技術だけでなく、本部合宿で活躍する研修生の姿に
感動したと述べたとき、彼らの成長を深く感じた。
とにかく思い出があり過ぎて何をどう書いてよいのか分からない。
ただ感謝と喜びの気持ちで一杯である。
締めです。部活とは空間的にも、時間的にも、
心情的にも人が集まるところである。少しでも多くの人が、
言われているから行うのではなく、考えているから行う、
思うから行動するという「心」を
養うことにラストの数か月を捧げたいと思う。
それによって部員一人一人が
本当に楽しく幸せな生活を歩む糧になるのだろう。
環境やルールだけで人間を語ることはできないし、
だからこそ先にのべてことが大切になってくる。
とにかく腐らず、焦らず、恰好が悪くても、
泥臭くなっても、本気になってやり遂げたことは
誰にも奪われることのない財産になる。
そう信じている。以上、本部日記らしからぬ本部日記でした!!!



渉外 中尾 友則

三度目の本部合宿の季節である・・・
一昨年、昨年とすごく充実した合宿だったので、
今回も期待でワクワクしながら、多度津で五日間過ごした。
今回は主に間合いと当身について学んだ。
運用法では間合いのとり方を勉強するのは、
必要不可欠である。
適切な間合いで攻防を行なうことは簡単なように思われるが、
実際に練習してみると難しい。様々な状況、
自分と相手との体格の違いなどで刻一刻と変わるのである。
わたくしは、突きの間合い、蹴りの間合い・・・を
把握して攻防を行なっているのだろうか?
おそらく10%くらいしか出来てないように思われる。
三年間少林寺拳法をやってきたが、
まだまだ足りない・・・少し失望しそうになったが、
足りないからこそ、人は現状に満足せず、
上を目指すのではなかろうか?
高段者でも基本を疎かにせず、
大事にしていかなければならないことを意識させられた。
攻者はきちんと相手に当てるように攻撃をする、
守者はその攻撃を危機感をもって防御することが
究極の形ではなかろうか?
当身についてであるが、形だけではなく、
正確に相手の急所に当てることを意識して行なうべきである。
意味のない当身は実戦では使えないと
本部の先生方からご指導頂いたので、
柔法の練習の際に活かしていきたい。
幹部として過ごす期間もあと三ヶ月くらいである。
残る大会も二つか三つである。
こんなに早く月日が経つとは思わなかった。
四月からは研究室で忙しくなるが、
悔いの残らないように練習していきたい。


統制・学連副委員長 舟越 康二

 現役最後となる本部合宿に参加した。
 毎年、参加するたびに得られるものが違う
本部合宿で何が得られるかが非常に楽しみであった。
 今回、部活で行く最後の本部合宿であったが、
参加する上での目標は技術向上と幅広い交流であった。
なんといっても全国の支部で拳士を指導する先生方が集まり、
各大学で日々練習する学生達が一堂に会する合宿なのであるから、
先生方から技術を御教授していただき、
様々な学生と親睦を深めあうのは
まさに本部合宿の本懐というべきであろう。
 まず、技術面について述べる。
自分は毎日三段の部の修練に参加したということが
非常に刺激的であった。
基本修練についてはこれまでの大学における修練の復習が
主な内容であったが、細かい点については発見があった。
また、技術修練については前半が福家先生、
後半は井戸家先生に担当していただいた。
感想としては、少林寺拳法の広がりを感じる内容であったと感じた。
疑問を感じる点もあれば素直に感嘆する点も多くあり、
未だ学ぶべきことが多くあると感じられたことに感謝したい。
 次に、交流である。自分は本部合宿での交流は便所掃除にはじまり、
練習を経て、「よこた」で結実するものであると勝手に考えている。
今年は少し交流範囲を狭めてしまった感が否めなかったが、
それでも楽しく交流することができた。参加した後輩たちには、
このような交流の場をこれからも大切にしてほしいと思う。
 最後に全体の感想を述べる。全体的には良かったと感じることができた。
ただ、一日所用で合宿に参加できなかったことは今でも悔やまれる。
大学全体としては、欠席者が無く現役部員が全員参加した本合宿は
成功であったということができる。
これからも本合宿で得た全てのものを
無駄にしないように修練を行っていく考えである。