連盟本部合宿日記

2002年 3月4日(月)〜9日(土)の連盟本部合宿の日記です。


二回生  辻 一成  

今年の本山は初段のところで練習しました。去年は全部で20人くらいしかい なかった見習い・3級でしたが、今年は160人弱もの人がいるようなところで したので、まずその活気の違いが嬉しかったです。さて練習内容ですが、今年の 本山合宿のテーマが「原点回帰」ということもあり、本当の基礎から始まりまし た。例えば、振り子突きにしても、体重移動や腰の使い方そして相手を想定して 行うことに気をつけるであるとか、受けは相手の攻撃してくるところだけをコン パクトに受けるなどということです。このため初心に戻ることができました。そ していかに自分が最近適当にやっていたかもわかりました。例をあげると、単演 のときと相対のときでは、単演の方が突きわけができてないとか目線がおかしい とか受けが形だけということです。以上から今後の基本練習では、いざという時 に役立つようなものにすることを心がけてやろうと思います。


二回生  中野 弘進  

今年の本山合宿には自分が好きな演武をする大学の人と一緒だったらどんなことに気をつけているのかとか基本はどんなふうにやっているのかとかを聞きたかったが、残念ながら期待の人々はいなかったので去年と同じように武専の方や職員の先生と積極的に組みに行った。技術はそれなりにえるものもあったが、それ以上に武専の方に基本はどうやっているのかを聞いて、付きっきりでみて貰えたことがよかった。それまでずっと基本の見直しがしたいと思っていたので目的が達成できた。他大学と少し話してみたところ、監督、コーチが練習に来ないのはもちろんで、ビデオを見て技を習うしか方法がないと言っているところもあったので僕たちは道場へ行って教えてもらうことができて幸せだなあと思った


一回生  宇都宮 菜々  

本山の6日間は毎日が驚きと発見の連続で、あっという間に過ぎ去ってしまいました。中学の時に部活で合同練習に行った時は、周りは皆敵というような空気が漂っていたのですが、みんな仲間なんだということを感じて感動しました。練習も想像とは違い、とてもわきあいあいとした雰囲気の中で進められていき、最初はとまどいましたが、他大学の人とも仲良くなれ、先生方や本部の方から丁寧に指導していただくことができて、本当にうれしく、とても有意義な時間が過ごせました。今回、最終日まではまだ2級だったのですが、思い切って1級の練習場で練習したことで得たものが大きかったように思います。ほとんど知らなかった初段技も一応形だけは全て終わりましたし、1級の練習場にいた人たちはほとんどが初段を受けた人たちだったのでとても刺激になりました。私は、他大学の人たちに比べて、胴をつけた時の動きが悪く、肩腰がかえらなかったり、ふらふらするので、そこのところを強化していきたいと思います。また、最終日に国際大会のビデオを見て、いつか海外の道院に行ってみたいと思いました。そのためにも練習と語学を頑張ります。今回本山に行って技術的な面でも精神的な面でもたくさんのことを学べ、本当に良かったです。心の中のもやもやしたものが取れたような、そんな気がしました。いきずまったらまた本山に行ってみたいなと思いました。


一回生  大島 充稔  

今回の合宿はいい意味でも悪い意味でも記憶に残るものとなりました。まず良かったことについてですが、本山のえらい先生に教えてもらったことに感動しました。本山の先生の技は本当にすばらしかったです。また、この合宿には多くの他の大学も参加していましたが、その中には自分よりはるかに上手い人がたくさんいて、刺激をうけました。自分の実力がいかにないかということを実感しました。しかし、残念なこともありました。今回、宿は本山に近くにあって便利だということを聞いていましたが、僕は宿の劣悪な環境のおかげで、日に日にかぜが悪化していき、最終日には合宿に参加できませんでした。しかし、この合宿ではいい経験もできたので、全体的には良かったと思います。


一回生  高木 睦子  

海を見ながら瀬戸大橋を渡り、初めて本山の前に立った時は、今まで写真やテレビでしか見たことが無かった本山を目の当たりにし、ここから少林寺拳法が始まったのだなぁと思い、とても感動を覚えました。 本山での練習では、こんなに大勢の人たちと一緒にするのは初めてで、何もかもが新鮮でした。資格別技術の時には、全員同じ級拳士で、五日間あっても、全員と組むことができない程で、たくさんの人と組むことができ、とてもよい刺激になりました。組む時は全て他大学の人と組むようにしたので、いろいろな大学の人と話すことができて、友達になれてとても楽しかったです。相対での練習で思ったことが、やはり相対練習の時は、面倒くさそうに適当にやる人が相手だと、こちらの気も削がれてしまい、逆に緊張感を持って真剣にやる人が相手だと、こちらもやる気が高まるということです。けれど、それではいけなくて、自分自身が誰が相手でも変わらず緊張感を持って行い、相手も自然と真剣になるような、練習に対する姿勢を常に保っていかなければならないと感じました。 また、たくさんの先生方や武専の方に技術を見ていただき、また違った素晴らしい指導を聞くことができてのも、本当に貴重な体験でした。 宿のほうは今回女子は相部屋だったのですが、同志社二名、あと二つの大学からそれぞれ二名、一名の合計五名が一緒でした。他大学の人とこのようにして練習以外の場で交流を持てるのはめったにない機会で、いろいろな話ができ、友達になることができてとっても楽しかったです。もしもこれが他の宿に泊まっていたりしたらできなかった出会いだったんだなぁと感じました。 お土産に拳法せんべい&拳法あめを買いました。拳法あめはどんな味かと思っていたら、お店のおじさんが、そう聞いた人に「あめやから甘いんや!」と言っているのを聞いて少し不安になりましたが、誘惑に負けて購入。でも、おいしかったのでよかったです。その他、開祖語録などなどを、カバンの容量を考えずに買ってしまったので、帰り仕度の時カバンが閉まらず、同室の人に手伝ってもらってなんとかしました。(途中で開きましたが・・・) 今回の本山合宿で、本当に沢山のことを学びました。その中の一つに『“組手主体”の大切さ』があります。相手との間合い、攻防の機会を知るには、やはり相対での練習が必要不可欠で、またいつも言われている『本当に当てるつもりで攻撃して、それを守者は必死で避ける』ということがいかに大切かを実感しました。一つ一つの基本・技に対して常に真剣に取り組んでいかなければ、拳法の上達はもちろんのこと、精神の向上にもつながらないと思いました。今回の学科試験の範囲にの『組手主体』はあったのですが、そのときはただまとめたり、そのまま文章を丸覚えしていたに過ぎませんでしたが、この合宿を通してただの丸暗記ではなくて、自分の中で咀嚼して少しは自分ものにできたように思います。 五日間の本山合宿の間、本当に有意義で充実した時間を過ごすことができました。来年また本山にくる時までにもっとっ技術を磨き、一年前よりも成長した自分で、あの本山の門をくぐっていたいと思います。


一回生  西原 匡哉   

長いようで短かった合宿でした。この合宿を通じて少林寺拳法に対する見方も変わったような気がしました。驚くべき運用法。本部の職員の方々が運用法や演武を行ってくれたのですが、その演武にはすごいの一言です。階級別の練習では目打ちからまず始まり、開足立ちから天地拳まで、基本から全てを改めて習い、今まで自分の大学でやってきたこととは違っていることにとまどいもしました。非常に驚きましたが、非常に勉強にもなりました。そして、宿舎では到着したその時から同室にいる人全員が風邪をひきました。夕食はあまり適切だなとは思えない食材を主人は僕と同じ香川人とは思えない不合理さ、非常に驚きもしましたが、非常に勉強にもなりました。これらの経験を生かしながらこれからの練習に少しでも成果がでれば幸いです。


一回生  牧野 真也  

僕は初日に、二段の試験を受けた。思えば二週間ほど前から、小林先輩にお願いをして、二人で初段技までの復習と二段技の練習を一通りやってきた。だから、そこそこ自信はあった。 ♪受かってくるぞと勇ましく〜誓って家を出たからは〜手柄立てずに帰らりょか〜♪ 「露営の歌」の替え歌を、ついつい口ずさんでしまうのであった。そして試験本番。学科は大体できた。問題は実技である。はっきり言って、相手と上手く合わず実力を出しきれなかった。この次からは、できる限り同志社の人と組んで試験を受けに行こうと考えずにはいられなかった。技術練習はとても勉強になった。切小手の練習のときに、あるつながりを見つけられたように思う。柔法では切小手、巻小手、送小手とやったが、僕としては、女の子と縛法の練習が・・・。いえ、何でもありません。剛法は受けの考え方が変わったように思う。これから研究してみたい。  さて、合宿になくてはならないものといえば、宿舎である。今回、同志社は「平野屋旅館」という、どこにでもありそうな名前の宿に泊まった。しかし、これほどまでに宿泊客をナメている、もとい、社会生活のきびしさを教えてくれた宿は今まで知らなかった。まず、主をはじめとする従業員の態度が高飛車だったのが気になった。また、合宿二日目に、宿に帰ってきたら部屋の扉が開かなかった。部屋が散らかっていたため、見回りにきた主に鍵を閉められたのだ。見回りに来るとは、まことにあの主はヒマ、もとい、僕たちの教育に熱心な方である。でも確かに、部屋を整理整頓していなかった僕たちが悪い。大いに反省し、次の日からは部屋を片付けるようにした。 ところで今回、一番感動したと言うか改めて実感したのが、三度食事をきちんととることができる有り難さである。同志社以外にもいくつかの大学が平野屋旅館に泊まっていた。あれだけの人数の食事を朝と夜に作るのは大変なことであろう。それを考えれば、たとえ冷たい(「冷めた」ではなく「冷たい」)コロッケが出てきても、我慢しよう。たとえご飯に芯が残っていようとも(某先輩曰く、「アルデンテのご飯」)、我慢できよう。たとえ一日に一回は、誰かの皿に髪の毛が入っていようとも、我慢しなければいけないだろう。たとえ食事を食べる場所に大きな荷物が置いてあり、大きな凧で隠してあって邪魔になったとしても、我慢するべきだろう。そして、たとえ計算上カレーライス一杯で千三百円となり、しかもそのカレーが微妙に冷めていて少し甘くても、我慢する必要があろう。「スキー場でも、普通のカレーライスが千三百円もすることはない。」とか「ココ壱番屋で千三百円出せばどれくらい食べられるのだろうか。」というようなことを考えても、意味のないことである。食べられるだけで幸せではないか。感謝しなければいけない。 ただ、理解できなかったのは食事を食べる場所、そこは和室の大広間なのだが、そこに、なぜかマンハッタンのジグソーパズルが飾ってあったことである。全く部屋にマッチしていない。そして、その食事を食べる和室には座布団が積んで置かれていたが、その座布団には「使用禁止」のはり紙がついていた。何だか嫌がらせをされているようで気分が悪い。使わせたくないのなら、あんな所に置いておかなければいいのだ。ただ、冷静に考えてみると、平野屋旅館自体が狭いので座布団をしまう場所がなかったのであろう。かわいそうな事である。また、狭い風呂場の狭い狭い脱衣場に汚らしい洗濯機があり、これにも「使用禁止」のはり紙があった。何だか嫌がらせをされているようで気分が悪い。使わせたくないのならあんな所に置いておかなければいいのだ。ただ、冷静に考えてみると、平野屋旅館自体が狭いので他に洗濯機を置く場所がなかったのであろう。かわいそうな事である(くどい!)。それから、便所が、初日より二日目、二日目より三日目とだんだん臭くなっていくことも不可解であった。三日目を過ぎたくらいから臭いは収束(臭束?)に向かったが、真面目な話、便所はきちんと掃除をしておいてほしかった。部屋も埃っぽく、同室の一回生は皆、ず〜っと鼻をかんでいた。O島は喉をいためて、最終日にダウンしてしまった。きちんと掃除がなされていないのではなかろうか。部屋の敷布団が薄っぺらく、寝心地が悪いのは我慢しよう。掛布団がなぜか正方形で長さが足りないのも我慢しよう。僕は終始、自分は泊めて頂いているのだという意識を持ち続けていた。だが、やることをやっていない主に高飛車な態度をとられると、いくらこちらが泊まらせて頂いている立場でも腹が立ってくる。主も少林寺拳法の仲間であろう。意識の改善を期待してやまない。卍のステッカーやワッペンを壁にペタペタ貼っているだけでは何の意味もないのである。本部も「原点回帰」をテーマとして掲げているなら、学生たちだけではなく宿舎にも原点に帰るよう呼びかけるべきだと思う。ただ、客を客とも思わない高圧的な態度をとる、もとい、僕たちに厳しい教育をしてくれた主も、孫(?)と遊んでいるときは普通の優しいオジイチャンになっていて、妙に人間味を感じてしまった。 総合的にみて平野屋旅館での生活は、当たり前だと思っていた自分の生活を見直すことができ、いろいろな人の協力のお陰で生活できるのだということを再認識できた面では、良かったと思う。また、先進資本主義社会の日本でも、市場の原理が成立していない場所が存在することも分かった。いろいろな意味で本当に勉強になったと思う。  今回の合宿では、技術的にも、精神的にも、非常に刺激されることが多かった。少林寺拳法をやっていてよかったと実感するとともに、これからも感謝の気持ちを大切にして生きていこうと、誓いを新たにする今日この頃である。


一回生  松浦 明良  

五泊六日という、今までで一番長かった合宿を終え、今、何かしらの達成感が湧いているところであります。少林寺拳法の生まれた場所、いわば聖地ともいうべき香川県、多度津での本山合宿。色々なことを経験できました。少林寺の総本山ということで、最初は険しい山の中にあり、何段も階段を昇っていった先にあるのだとか、昼ご飯には精進料理が出たりするのではないかという勝手なイメージを作っていたのですが、全くそんなことはなく、昼ご飯は宿のよりもはるかにおいしかた(宿のご飯がありえない者であったということもあって)。 この合宿では、他大学もたくさん来ていて、他大学と組んで練習したりと、今までに無い経験ができ、同じ少林寺拳法であっても、大学一つ一つのやり方や特徴があるもんだなぁと感心した合宿でもありました。 なにはともあれ、一回生として過ごす合宿はこれで最後であり、来年また行く時には二回生であり黒帯として行くはずです。その時までにもっと上達できるように、自分に厳しくありたいです。



2001年度 本部合宿